島さんの書評ブログ

読書はアウトプットまでが読書

史上最強の哲学入門 東洋の鉄人達 

史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち (河出文庫) [ 飲茶 ]

価格:993円
(2019/1/30 14:29時点)
感想(3件)

史上最強の哲学入門 東洋の鉄人達

 

 

私とは「認識するもの」。不幸も苦痛も自分が区別して、自分がそうだと受け入れたのだ。「誰かにいやなことされた」→これをムカつくと思うのはムカつくという感情を自分で受け入れたことになる。人によっては攻撃されて、いじられてうれしいと思っちゃうM気質の人もいる。要はどのようなできごとも、どのように受け取るかは自分で決めているんだよ。ものごとのとらえ方に正解はないのだ!

 

 

経験しないと体得できないことがある。仏教はそれ。理屈がわかってても、使いこなせないと意味がない。だから、体験する。口だけじゃダメ。態度、日頃の行い、積み重ねで習得する。論より実。

 

 

世界は一つなんだよ。勝手に区切ってるだけなんだよ。勝手に悩んでるだけだよ。何も考えなくていいんだよー。→じゃあどうすればいいの?→南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、・・・

 

 

哲学は難しい分野だけど、この著者の例文はとても理解しやすい。この例え話のおかげである程度まで理解できる。哲学に馴染みがなくても理解できる。まさに入門書。

 

※東洋哲学とは何か、ピラミッドである→西洋哲学は無理から究極の真理を目指す。東洋哲学は真理が完成したところから始まるのだ。真理に矛盾があると、西洋哲学は前任者が間違えていると解釈し、東洋哲学は自分達の解釈が間違えているととらえるのだ。

 

東洋哲学は耳である→夜の学校にはお化けがいると言われている。しかし、お化けと思われていたことは全て人のいたずらだったとする。全ての証明もできた。でも、人は夜の学校に行くのが怖い。そこで実際に行ってみると、やっぱりお化けはいなかった。これでようやく「悟った」状態になる。これが東洋哲学の特徴だ。誰も論破できない理論を並べても、それを実践して証明してない人はただのウンチク坊やですよ。これは共感。

東洋哲学とは「ウソ」である→伝達不可能なことを伝えるために、ウソも使った。言葉だけでは伝わらないため、ウソを信じこませ、実際に体験させることを広げた。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と唱えるのはそうしていれば神に救われるわけではなく、繰り返すことで余計なことを考えなくて済むようになり、冷静な気持ちにさせる。座禅やしきたりなどもそうである。例えば肉を食べられないのは、食べたい欲を表すためである。釈迦はそのような形にはこだわらないとしていたが、人に伝えるためにはウソも方便である。

 

 

「容姿 」 「肩書き 」 「財産 」 「他人からの評判 」 「自己イメ ージ 」これらのものが私だというのは勘違いであるが、皆そう考えている。それらは自分じゃないだろうから傷つけられて不幸になることはない。ただの無知からの勘違い。

 

すべて理解するのはちょっと難しい。一冊の本を完璧に理解するのに時間を使うより、一冊から一つでも学べたらOK!ってスタイルでどんどん読んだ方がいい。社会人は。

 

哲学でわかったことは「型にハマるな」ということ。どんなに柔軟な考え方ができるかは、常識、しばり、区別をどれだけなくせるか。自分と他人の区別すらない。この世は一つ。人が都合よくわかりやすくするため?に区別した。最後はつべこべ言わず、この教えを信じろ!ということ。

 

仏教の最後は和訳すると「幸あれ」や「行けー!」ということらしい。境地に飛び込むにはすべてを投げ出して、最後の一歩を踏み出す。つまり、自分で信じて踏み出すしかないと解釈しました。すべてを捨てて飛び出す思い切り。そもそも大切だと思って抱え込んでいることが、人が勝手に区別したなんでもないものなのだ!縛りを捨てて飛び出せ。行け!・・・すごく背中押されるな。意思が弱い人が宗教にハマるのがわかる。みんな自分にいい解釈で学べばいいと思う。

 

一回で釈迦の教えをすべて理解することはできない。だから、繰り返し何年も続けるのか。

 

中国はインドの無欲精神とは相見えない「物・食・性」に貪欲な民族。洪水という自然災害にもなんとかしようと対峙する人たちなのだ。

 

 

西洋哲学は論理であるため、言葉での伝達がかのうである。東洋哲学は体験を重んじ、言葉で説明するだけでは伝達不可能である。例えば、赤色を見たことない人に赤色の説明することはできない。実際に見せて「これだよ」と伝える以外方法がないのだ。イスラム教の男性に他の国の人は女性の肌を見ただけで興奮しないことを伝えても、その男性は女性の肌を見て興奮するだろう。物事を習得するのにそれは、体験も伴わないと深みに行けないことはよくある。

 

ものの価値は人それぞれ。自分にとっては命に代えられないほど重要なことでも、他人にとってはどうでもいいことというのはよくある。その価値は人が勝手に決めたことで、本当はすべて同じですべて一つ。腹立つことやうれしいことがあったとしても、それが「腹立つ」や「うれしい」と判断するのは自分なのだ。いわば、自分で障害物を置きながら、ぶつかっていたいいたいと言っている状況。他人から見たら、無様な光景である。

 

すべてのものは水から生まれたと言われている。すべては元を辿れば水で皆同じで、境目などないのだ。自分は大きな流れの一部。「他力」の中で生きている。「自力」で達成したことは一つもない。

 

不安はない、心はない。すべて脳が出す分泌物に惑わされているだけ。映画の中の人物が傷ついたり、不安になっても、自分には関係ない。自分は傍観者なのだ。

 

つべこべ言わずにやれ!とか悟れ!とか会社とか部活とかでも上司や先輩から何か教わる時に、理由とか尋ねてもこのようなことになることがある。日本の独特な特徴なのか。そう思うと、やっぱり日本人のルーツを知るには歴史の勉強が必要だな。

 

 

自分に都合よく「無」になれるのが、仏教の強みかもしれない。

 

 

史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち (河出文庫) [ 飲茶 ]

価格:993円
(2019/1/30 14:29時点)
感想(3件)

www.shimakabu.com

 

mobile.twitter.com

>↓↓株投資もやってるので宜しくお願いします。↓↓

www.shimakabu.com

島達也 (@shima_tatsuyaf) on Twitter